死の向こう側

先日、

「今年は最も愛する者を天国へと見送った年だった」と綴った。

人はきっと
それについて「絶望」をイメージするだろう。

かつて私も死を想像した時、
やはり真っ先に浮かんだのは「絶望」だった。

しかしいざそれを経験してみると、
死の向こう側にあったのは「絶望」ではなく
死の向こう側にあったのもやはり『愛』だった。

闘病が始まった2017年9月から
次々と多くの方々がご連絡を下さった。
私の心情を気遣うメッセージ、
実りある情報、
励ましの言葉、
祈りの言葉、
先に同じ経験をした方からのアドバイス
そのどれもが『愛』で溢れていた。

2018年2月
最期の時を迎えようとしていたその時も、
最期の時を迎えてしまったその時も、
それぞれが それぞれの形で
一生懸命私に『愛』を送って下さった。

素敵な香りのするお線香を送って下さったり、
メッセージカードが届いたり、
お花をいち早く手配して下さったり、
ただただ私の周りは『愛』で溢れていた。

闘病の時期から亡くなるまでの5ヶ月間、
パートナーも全力を尽くしてくれた。

彼は私が彼女を愛する以上に
彼女の事を愛してくれ、

何度もお仕事を抜け出しては
病院へと車を走らせてくれた。

お仕事でへとへとな夜でも夕食も食べず
自分の事よりも彼女を優先し
真っ先に病院へと送り届けてくれた。

毎朝5時の彼女のトイレも
彼が5ヶ月間 毎日・毎日サポートをしてくれた。

一緒に眠っていると決まって彼女は朝の5時に
もぞもぞと「トイレへ行きたい」合図を送り、

ガリガリに痩せ細った小さな体で
一生懸命起き上がり
殆ど歩けてもいなかったのだけど
補助を得ながらそれでも
一歩・一歩 ヨチヨチ歩きで廊下へと向かう。

2017年10月に 彼女は後遺症により
既に両目を失明していたので
サポートは絶対的に必要だった。

彼自身も疲れていた朝もあっただろう。
殆ど眠れていない夜もあっただろう。
もっとゆっくり眠りたい日もあっただろう。

それでも文句一つ言わず、
弱音一つ吐かず、
彼女が一歩・歩く度に声援を送り褒め称え、
一日も休まずトイレ補助を続けてくれた。

彼は後に
「その5ヶ月間が何より幸せだった。」
「毎朝トイレ補助をするのが何よりの幸せだった。」
と言ってくれた。


そして最期の入院を迎え、
もう助からないかもしれない現実を目にした
病院からの帰り道、

彼は車の運転をしながら
かつて聞いた事がないくらいの
大声を張り上げ泣いた。

つられて助手席で私も
生まれた時以来に張り上げる大声で泣いた。

二人 涙で前が見えず、
危ないからと
何度も路肩に車を留めては泣き続け、

また出発しては
やっぱり涙が止まらず路肩に留め、
30〜40分で着く自宅への道のりに
一体どれ程の時間を費やしたのか分からない。

その一方で、
私はこの人を選んで良かったと
心から思えた時間でもあった。
またはそれに気付かされた。


彼女は死を持って
私に多くの事を教えてくれた。

彼女は死を持って
私に多くの事に気付かせてくれた。

彼女は死を持って
私に多くの事を与えてくれた。

彼女は死を持って
改めて愛の深さを知らせてくれた。

死の向こう側は「絶望」ではなく、
『美しい愛』が存在するのだと。


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